見た目の意味
誰かが試合に出ようとしている。
本当の意味
イタリアで誰かが scende in campo――「フィールドに降りる」――と言っても、たいていそこにフィールドはない。
芝生もない。
ボールもない。
ロッカールームもない。
いるのは、昨日まで別のことをしていたのに、今日になって「この国には自分が必要だ」と決めた人物である。
この表現は政治の世界に直接入ることを意味する。しかし、それ以上に芝居がかった響きを持つ。ただ立候補するのではない。
フィールドに降りるのだ。
政治という試合がすでに悪い流れで始まり、観客席から見ていた誰かが立ち上がって、こう言うかのように。
よし。今度は私がやる。
この表現は以前からあった。しかし1994年、シルヴィオ・ベルルスコーニが政界入りを告げた言葉によって、決定的に政治用語となった。「私はフィールドに降りることを選んだ。」
それ以来、イタリアではそのフィールドがずっと残っている。
実業家、判事、教授、市長、テレビの有名人――単に立候補するだけではないと伝えたい人は、みなそこへ降りてくる。
彼らは「やって来る」。
そして何より、いつも状況がそれを求めているからやって来る。
こんなふうに言う人はいない。「安定した給料と少しの知名度、それに個人的な問題を二、三片づけたいのです。」
それでは、あまり国家的に聞こえない。
国のため。
物事を変えるため。
責任感から。
もう黙って見てはいられないから。
国を救うことと自分の境遇を整えることが、ときどき同じ方向へ進むのは、イタリアの民主主義があまり深く追究したがらない幸運な偶然の一つである。
そして選挙運動、連立、世論調査、トークショーが始まる。そこで突然、なぜ「フィールド」と呼んだのかが分かる。
読み解く鍵
イタリア語の candidarsi は、何をするかを説明する。
Scendere in campo は、それを決意した瞬間を人々にどう想像してほしいかを説明する。
